介護とトイレ | その大変さと問題点
前回のコラムでは自身の入院の経験から介護においてのトイレの大変さについて書かせてもらいました。
今回も同様に介護におけるトイレについてですが、もう少し踏み込んでみたいと思います。
介護時のトイレの大変なこと
要介護状態になった時のトイレで大変なこととは一体どんなことがあるのでしょうか?
これは介護する人、介護される人の立場によって違った大変さがあると思います。
まずは介護されるご本人について考えてみたいと思います。
要介護者ご本人にとってのトイレの大変さや問題点
- トイレへの移動
- トイレでの動作(便器への座る、立つの動作)
- 介護してくれる方への遠慮や気遣いからくる心苦しさ
- ポータブルトイレを使用している場合の臭い
- 排泄行為を介助無しでできなくなったことにより尊厳が傷つく
- これまで一人で完結していた排便を介助してもらうことからくる羞恥心
このような様々なことが考えられます。
トイレへの移動・トイレでの動作
要介護状態になると少しの移動も大変な負担になります。
健康な人が気にならないようなごく僅かな段差でもつまづいたり、歩行の際に支えがないと難しかったり。
また、トイレでの動作についてもトイレ内で体の向きを変えたり、洋式便器に座ったり、排泄後の清拭の動作や、トイレからの立ち上がりなど様々な負担が体にかかってきます。
また、和式トイレで用をたすことは非常に困難になってきます。
介護してくれる方への遠慮や気遣いからくる心苦しさ
排泄は1日に何度も行います。
特に高齢になるとその回数も増えてきます。
早朝や深夜にトイレに行くこともあると思います。
いくら家族とはいえ、その都度手伝ってもらわなければいけないというのはとても気が引けてしまいます。
また、場合によっては排泄物の処理や清拭などをしてもらうこともあり余計に心苦しさを感じてしまう方も多いと思います。
この心苦しさから、排泄の回数を減らそうと水分補給を極力我慢してしまったりして体に無理をしてしまう方も多いようです。
ポータブルトイレを使用している場合の臭い
トイレへの移動が困難な場合などに寝室にポータブルトイレを置いて使用している場合はその臭いや後処理を気に病んでいる方も多いようです。
排泄行為を介助無しでできなくなったことにより尊厳が傷つく
排泄行為はとてもデリケートな問題でもあります。
元気な時は当たり前に一人で行ってきた排泄行為を介助無しではできなくなってしまう、また家族とはいえ人に見られるというのは個人の尊厳を傷つけてしまうこともあります。
これをきっかけに様々なことへの自信を失ってしまう場合もあるようです。
これまで一人で完結していた排便を介助してもらうことからくる羞恥心
これもやはり本来一人で行ってきた排泄行為を人に見られてしまうことへの羞恥心から極力我慢してしまったりして心身ともに負担がかかることも多いようです。
介護する方にとってのトイレの大変さや問題点
- 移動やトイレでの動作を介助するのは重労働
- 深夜や早朝などに起こされることでの心身の負担が大きい
- 排泄物の処理
- 自分の時間が取りづらい
- 要介護者への気配りや気遣いが必要
このような様々なことが考えられます。
移動やトイレでの動作を介助するのは重労働
ご高齢の方とはいえやはり大人一人の移動や動作を介助するには相当な体力が必要です。特に多くの場合に介助をされるのは女性が多いのも現実です。ちょっとした移動や補助も相当な重労働です。
深夜や早朝などに起こされることでの心身の負担が大きい
ご高齢になると排泄の回数も増え、深夜や早朝に介助が必要なことも多々あります。数時間おきに起こされることによって介助者ご自身が十分な睡眠をとることができず、体調不良になることもあるようです。
排泄物の処理
ポータブルトイレを使用されている場合はその都度排泄物の処理をする必要があります。これもかなりの負担になります。
自分の時間が取りづらい
排泄行為は1日に何度も行います。介助を担う方は常に対応できるようにする必要があり、なかなかご自身の時間を持つことも難しくなってしまいます。
要介護者への気配りや気遣いが必要
排泄行為はとてもデリケートな問題ですので、ちょっとした言動で要介護者の方を傷つけてしまうこともあります。
そのようなことにならないために介護する方は日頃から気配りや気遣いをしなければならず、ご自身が疲れてしまうことも多いようです。
このように介護におけるトイレは介護される人にとっても、介護する人にとってもとても負担が大きく大変重要なことです。
人はいつか必ず老いて行きます。
今は元気でも歳を重ねれば自分自身に介護が必要な時が来るかもしれませんし、自分の親の介護をしなければならない時が来るかもしれません。
そう行った時に備えて、これからもこの問題について目を背けることなく考えていきたいと思います。